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つれづれなるままに・・・

日々の思ったことを綴っていきます。

取捨選択の自由

少し前にツイッター上である記事の情報が流れてきた。
ここ数年乱発しているフィギュア雑誌に蹂躙され老舗雑誌が追い込まれている状況を嘆いたものだった。更にはそれに群がる購入者へ見る目を持てと苦言を呈した内容だった。
読み終わったときに頭を抱えた。あきれたというより末期的だと感じたからだ。
文中にフリーの編集者N氏という人物が登場する。この手の記事は実名でない限り本当に存在するかはわからない。ただ似たようなことを言う関係者はいたのだろうと想像はできる。しかしそれを口にする意味をその人たちは理解しているのだろうかと疑問に思う。その言葉を突き詰めて考えれば「私たちは無能です!」と宣言しているのと同じだということを。
 
私は学生時代文芸部に所属していた。毎月1冊部誌をさらに年1回文化祭に合わせて文芸誌を発行することが主な活動だった。
毎月の部誌はB4のわら半紙に印刷機で印刷し2つ折りにしてスーパーホッチキスで留めた簡易なもの。(今の子供たちはわら半紙って知っているのだろうか?)
当時はパソコンもないワープロ時代。印刷機も今のようなものではなく大型のガチャコンガチャコン音のうるさいよくズレる手間のかかる代物だった。印刷した紙を部員総出で美しく2つ折りにして(この美しく2つ折りすることに非常にこだわりがあった)大型の机に並べ皆でぐるぐる回りながら本にしていく。結構労力がかかるそれでいて楽しい作業だった。
 
一方文化祭用に発行する雑誌は外部で印刷製本される。当時はまだ個人による自費出版はあまりなかった時代である。コミケもあることはあったがかなりマイナーな時代だ。印刷業者に頼むというのはかなりのコストのかかるものだった。
 
ところで本を作るときに一番大変な作業は何だと思いますか?
 
文章を書くこと?編集構成をすること?見本刷りから校正修正していくこと?
 
それぞれなかなか労力がいることだが、本好きならば案外楽しんで出来る作業だったりする。筆が進まないことも思い通りな形にならない悩みで落ち込んだりもするが最初からわかって始めていることなのでそこまで大変だとは感じない。
 
実は文芸誌制作に一番大変なのは作るための資金を用意することだった。
 
生徒会からもらう部費は毎月の部誌の紙代を賄う(それでも使いすぎて時々怒られました・・・)ことが精一杯だったので外部委託する資金は自分たちで稼がなければならないわけだ。バイトすることも出来ない私たちに出来ることはただ一つ「広告を集める」こと。地元の店舗や知り合い・親戚のつてなどに雑誌に広告を載せてくれるよう1件1件お願いに回るのだ。これは体力的にも精神的にも非常につらい作業だった。
1ページで1万円、半分で5千円、4分割で3千円、6分割で千円という設定で30万から40万かかる製本代を捻出しなくてはならない。千円がだいたい80%、3千円が15%と言った比率だったから少なくとも40件以上集める必要があった。当然断られることも多いのでものすごくしんどく毎年その時期気鬱だった。中にはお金は出してくれるもののデザインやコピーなどはそちらで作ってと言われるケースもありそういった労力も別に必要だったりもした。
 
その次に大変な作業はその作った本を「売る」という作業。
文化祭2日間の間に取り置き分以外の冊数を売りさばかなくてはならなかった。一応文芸部の研究発表をするブースもあるがそこだけで売り切れるはずも無く、部員が交代で校内を歩き回り生徒や父兄・来場者に売って回る。結果的に文芸部員は期間中誰よりも校内を歩きながら文化祭の内容を全く知らないまま卒業することになるのだ。

今となっては良い思い出だが当時はなかなかしんどかった。ただお金を貰うと言うことと物を売ると言うことが非常に大変であることを知った経験は大きかったと後から思ったのだった。
 
私は結構長くフィギュアスケートのファンをやっている。子供の頃から本は好きだったが育ったのは本屋も無い田舎町(メジャーな雑誌などは文房具店で売ってた)でフィギュアスケートの雑誌があることも大学生になるまで知らなかった。といってもバイトで生活費を稼ぐ苦学生だったので高価なフィギュア雑誌が買えるはずも無く本屋でぺらぺら流し読みするくらいだった。
社会に出て正社員になり安定的に給与が得られるようになって初めて購入することが出来た。以来10数年、フィギュア雑誌の中で老舗と言われるワールド・フィギュアスケートを年に何回か購入してきた。外国人選手好きの私にはこれが一番情報があったためだ。本棚や押し入れを探せば30冊以上は出てくるのではないかと思う。

ソチ五輪の少し前日本男子選手中心の雑誌が出たときはとても驚いた。それまでは五輪後に突発本が出ることがあっても多くが女子選手中心だったからだ。せっかく出たのだからと購入したが、30代後半(当時)のおばさんはあまりのゆづゆづしさにくらくらしてしまった。ただこういうものでもフィギュア雑誌が出てくれたことは喜ばしかったのでその後も継続して購入した。そしてソチ五輪で羽生が五輪王者になるとそういう雑誌が爆発的に増加したのだ。
当初はどんな形でもファンが増えると良いと思いせっせと幅広く購入していたのだが、翌シーズン終了した頃には力尽きた。なんというか・・・色々大変だったのだ。
 
1.増えすぎて管理できない。置き場が無くなる。
大きさがA4版が多くかさばること。写真がメインのため紙質が良い場合が多く重ねると重量がとんでもないことになること。更に羽生が表紙の場合が多く、また各社似たような物をチョイスするので同じ雑誌を2冊購入してしまうミスを何度も犯してしまったことなど多すぎて管理できなくなった。
 
2.写真がメインで読むところがほとんど無い雑誌が多かった。
動画や録画で演技を見返すことは割と良くあるが、静止画には全く興味が無い。絵を描く趣味も無いためパラ見して重ねるだけというものが多かった。
 
3.財布がきつい
2000円前後といった高価な雑誌が多いため購入額が半端ない金額となってしまい色々支障を来した。
 
4.間違いが多い
単純な誤植レベルの物は数知れず。特に多かったのは写真と個人名が合ってないというケース、外国人選手はまだわからないこともないが日本選手でも間違っているケースがありあきれてしまった。
一番笑ったのは2・3・4回転ジャンプの基礎点を纏めた表で回転数表記が全部1回転少ない物を見つけたとき。でもその時はこれで女子の計算したら何点になるだろう、とうきうき計算して楽しんだ覚えはある。読む物が少ない分雑誌内で誤植を探すことが楽しみになっていた時期もあった。
まぁ笑えるとか単純な誤植はまだいいですが、許せないのはライターがルールを理解せずに文章を書いているケース。素人に書かせているのかと確認したら何度か記事を読んだことがある名前だったりしてがっかりしたことが1度や2度では無かった。
長年フィギュア雑誌を手がけているライターが過去について書いてある文章の内容が間違っているケースも良くある。時系列が違っていたり会場や年度が違うというのはまだましで違う試合の内容を混ぜて書かれていたりきちんとデータ管理もされていないのかと腹立たしく思った物だった。
 
そんなこんなでこれだけ雑誌が出ていれば当面フィギュア雑誌が無くなることは無いだろう、私が買い支える必要はないと翌シーズンからは厳選して購入することにしたのだった
その結果それ以降購入する雑誌は激減した。2季前はそれでもシーズン中15冊ほど購入したが昨季は10冊を割り今シーズンは結果的に5冊しか買わなかった。
そして雑誌を選択しだしたのは私だけでは無かったようで昨季辺りからすぐ売れる雑誌とそうで無い雑誌が別れてきた印象だ。本屋の店頭でも残っている雑誌はいつも同じタイトルになってきている。

そんな状況下の現在、冒頭のような記事を書かれたのは売れない部類の中に老舗雑誌が数多く含まれていると思われる。ただそれはそれで仕方ないだろうと思う。何しろ今季私は1冊もそういった「老舗雑誌」を購入していないからだ。
 
全部では無いが長年ワールド・フィギュアスケートを購入してきた。特にソチオリンピックの前後はほぼ全て購入していた覚えがある。しかし昨季は2冊、今季は結局1冊も買わなかった。

買わない理由は特にない。強いて言うなら買って読む必要は無いと感じたからだ。
基本的にこの雑誌の内容はマンネリ。試合内容のまとめと選手のインタビュー中心。ときどき振り付け師やコーチのインタビュー、アイスショーの特集などがある位。振り付け師やコーチのインタビューも纏めて読める利点はあっても有名どころなので他の雑誌やネット上の情報で見る機会はあるのだ。この雑誌でなくてはならないというのは価値を今では見いだせなくなっている。
 
許可をとらない非正規な雑誌が正規の雑誌を蹂躙したと記事に書かれているが、きちんと選手や関係者に向き合う機会があるのに写真載せるだけの手抜き雑誌に負けるということは結局は手抜き雑誌以下の内容だと判断されていると言うことだろう。時代に合っていない、ニーズを読めていない、一方で老舗ブランドを維持するような高尚な記事もかけていないということ。
選手やコーチに聞く質問も真新しい物は無い、他の媒体でも得られる情報の焼き直しに過ぎない内容を数千円を出して購入しろというのは消費者を馬鹿にした行為だと思わないのだろうか?非常に不快に感じてくる。
 
関係者に接することが出来る老舗ならばいくらでも出来ることがあるはずだ。例えば何かの大会特集だったらその試合での各エレメンツの高得点要素を取り上げてどこが優れているのかどう評価されているのか分析や解説してみてもいいだろう。できれば判断したジャッジ自身に聞ければ良いが無理ならばジャッジ資格者でも構わない。ついでに今後試合を見るときはどこに注目すべきかジャッジ視点を明確に説明してくれたらありがたかったりする。そういう行為は非正規本には決してできない行為だ。なぜコネや人脈があるのにそういう発想がないのだろう。
例をあげるとするとボーヤンのワールドFS冒頭の4Lz特集なんてどうだろう。私が見た中での過去最高の出来の4Lzだったと思うし、高いGOEもついた。離氷スピードがどの位で飛んだ高さと幅がどの位で着氷後の流れがどの位だったのか数字で見せてくれたらすごくありがたいと思う。今季の他の4Lzと比べてどこが良かったのかあるいは昨季のボーヤンと比較してみるのも面白いのではと4Lz一つとってもいろいろ企画アイデアが生み出せる。

老舗の雑誌というのはそのスポーツの素晴らしさ、面白さを広める物だろう。この技術がどれだけ高度な物なのかとか不明瞭になりがちの採点がどう行われているのかを伝えたり、毎年変更されるルールがどう変わったのか、何故変わったのか、それによって選手にどう影響が出るのか、プラス面マイナス面併せてわかりやすく解説し理解を深めようとするものではないだろうか。
聞いた内容をただ垂れ流したりライターの作ったシナリオに試合内容を纏める物では無いはずだ。しかし現状はライター個人の思い込みや好みや感性をまき散らす場になっているのではないだろうか。

人気選手ばかり取り上げる傾向を揶揄するのならば老舗こそその他の選手の素晴らしさや可能性、今現在の実力を「客観的に」特集すれば良いはずだ。それが優れた内容であるならな人気選手以外のファンは購入したいと思うだろう。何故自らそれをしないで購入者を責めるのか全く理解できない。
やっていて売れないというのならそれはライターや編集者の能力が低いだけの話。「客観的」でなかったり曖昧な自己満足の文章を垂れ流すだけでは共感や理解ができるはずがない。結果的に値段に見合わないと見切られていくのだ。
学生時代の私たちでさえ規定冊数売り切るために見合う単価を自分たちで設定し販売した。学生が作った本での売り上げで印刷経費すべてが賄えるはずのないことはわかっていたから毎年赤字にならないよう広告料を必死で集めたのだ。
設定価格に見合う雑誌が作れていないのに別雑誌を購入する消費者に見る目がないなどよく言えたものだ。それより自分たちの力量を過分に想定している現状や購入者に対する思い上がり・傲慢な目線を改めるべきだと思う。
良い雑誌を選び購入したいというのは購入者の自由と権利だ。「買わない」という選択に売る側が文句をつけるいわれはない。
 
実は私がワールド・フィギュアスケートを購入しなくなったことには一つのきっかけがある。2季前のシーズン中のことが発端だった。
この雑誌にはT氏という割とフィギュア関係でよく見かけるライターが良く記事を書いている。かなり色んな媒体で見かける人物なのでこの人の好みや思考の方向性のような物がある程度知識として私の中で蓄積されていた。
ある試合をリアルタイムで見た後ふと思った。きっとT氏がこの試合の記事を書いたらこんな感じになるだろうな、と。思ったら少し面白くなったので内容を書き出してみた。切り口はこうでこういう文章でこんな風に纏めるだろう、と6行ほど箇条書きした。そしてしばらくしてT氏のその試合の記事を見つけて私は思わず天を仰いでしまった。そこそこ長い記事だったが切り口も語りも8割は予想通りの内容、特にまとめ方はそのままその通りの文章だった。
おいおい金貰って仕事で書いてるライターが素人に考え読まれるような文章書くなよ・・・と突っ込んでしまっても仕方ないだろう。
 
読んだ文章はワールド・フィギュアスケートの雑誌上ではなかったのだが、これを契機に一気に購入意欲を失ってしまった。貴方の書く文章は読まなくてもわかります、と思ってしまったからだ。
 
自分の考えが正しいと確認するために読むという楽しみも有りと言えばあるのかもしれない。ただ基本本や雑誌という物は新たな知識や認識を得たいと思って読む物では無いだろうか?その試合からしか得られない新たな視点や内情など目にできないことを期待して本を取る。しかし満足できるものでないことが続けば当然読者は離れてゆく。
特にフィギュア雑誌は値段がかなり高めとなっている。そして購入者には老舗だから正規本だからという理由に付加価値など何も感じないのだ。
非正規本といっても写真は正規のルートで購入しているしとってもいないインタビューをねつ造しているわけでも無い。私は買わないが綺麗な写真が見たいと言うだけならそれを購入することをとがめられないだろう。少なくとも写真購入代金分はスケート連盟の懐を潤しているし売れればそれなりの貢献にはなる。それを読者を奪われたなどと逆恨みするのは間違いだろう。
要するに今の状況は老舗の編集者やライターがしている仕事がそんな「手抜き本」以下の価値だと判断されているだけだ。苦言を呈する前に自分たちの怠慢・怠惰を恥じることがまず先だろう。
 老舗の看板を立てに吠えるより先に冊数が出る本を作るか、数は出なくても純粋なファンを納得させるような読み応えある雑誌にするかしっかりとした方針を立てそれに合った社内改革をするべきだ。それができないまま今まで通りの古い考えに固執した時代の見えないお抱えライターと緩い関係を結んだ人々の間だけのうちわネタ的な雑誌を作っていくというのならばそれはそれでいい。結局フィギュアスケートという競技や選手を愛しているわけでも理解しているわけでもない、自己満足の雑誌を作りたいというだけなのだから廃れても本望だろう。
 そうでないのならば「現在」のフィギュアスケートの魅力を愛する人々による改革と刷新し他には作れない雑誌にしていかなければならない。しかしあのような記事が出るということは関係者間で全く問題の本質が見えていないのだなと感じられて思いやられる。
 
過去は過去で賛美すればいい。だが今は今の魅力を客観的に多様性をもって伝えられなければ「雑誌」という形はいずれなくなっていくのだろう。
 ネット情報時代だ。多種多様な情報があふれていて自由に得られるものが数多く存在する。知りたければ外国の記事でもいくらでも読むことができる。そういう時代の中で売れないものが市場から淘汰されるのは自然の摂理。他者を責めるばかりで身を切るような努力を何もしていかなければいずれ消えていくだけなのだと私は思っている。