つれづれなるままに・・・

日々の思ったことを綴っていきます。

全ては最高の瞬間のために

GPFが終了したところで羽生の情報がもたらされた。まだ炎症が治まっていないため氷上練習ができていないと伝えられるとメディアは一気に悲観的な報道であふれることになった。

 

・・・なんで?

 

日本のメディアを全く信用していないため普段はこの手の記事に対して触れないことにしている。それでもスケ連関係者含めてあまりの右へ倣え的な姿勢に困惑している。
というのは私は小林氏が「まだ氷上練習ができていない」と言っている映像を見た時むしろ「あー良かった!」と思ったからだ。

 

怪我後の復帰で一番心配なのは治りかけの状態で無理して練習に入ることだ。治りの状態にもよるが、えてしてこの時怪我を悪化させることが多い。そうでなくても負荷が多ければ完治はさらに遅くなるし庇いながら練習することで変な癖がつきバランスが狂うこともある。ここ一番の大勝負の時なら仕方ないことはあるがこと「羽生結弦」の場合全日本選手権はそこまで大事な試合ではない。五輪代表の選考条件はもう十分に満たしている。
羽生に対して悪く言いたがる人間も少なくないが彼らは結局どんなことでも勝手にわめくのだ。そんなことに気を回す必要はない。

 

怪我をしたのが11月9日で12月10日現在まだ氷上に立っていない。ひと月以上を費やしてもいい状態と思われない限り先へは進まない。このことが分かったことで私は非常に安心した。
ゴールは見えているのだ。そこに向かうためもっとも良い選択をしているはず。
必要なのは2月16日17日に最もよい状態に持っていくこと。そこに至るまで着実に時間をかけて力を蓄えていけばいい。

 

メディアはよかろうが悪かろうが結局のところ目先の話題になればいいだけ。その報道の是非の責任を取るつもりはさらさらない。そんな無責任報道がまかり通るのは結局それを受ける側が厳しく叱責する土壌がないためかもしれない。何事に対してもことなかれで済ましてしまう日本人気質の問題も多い。そういう部分を変えて欲しいが今すぐ変革できるわけもない。

ただ一方で今はネット社会でメディアに頼らなくても情報を得られる時代でもある。そういった自己の都合の良い情報や思い込み・願望ばかり垂れ流すメディアを選別できる手段もある時代だ。受け手側も賢くなれる。

 

羽生結弦が若くしてトップに立ちその地位を維持し続けることができるのはその能力の高さだけではなく自分で考え実行できるという点が大きい。仮にトラブルに見舞われてもその次の試合に対し自分がどうすべきか検討し対策を立てられる。

構成やエレメンツの配置、装飾など現在のフィギュアスケートはただ肉体的な能力が高いだけでは戦ってはいけないスポーツだ。羽生はそういった部分では最も現役選手の中で高い能力の持ち主であると思う。だからこそ現在無理をしていないということはそれだけで素晴らしいことだと私は思う。捻挫による靭帯損傷はフィギュアスケーターにとっては職業病のようなものだろう。自身にもクリケットというチームでも経験があるはず。だからこそ大事な試合に対してしっかり対応や対策ができるだろう。

 

どれほどネガティブに報道されようと試合でしっかり自分らしさを出せれば問題ない、羽生という選手はそのことをこの4年誰よりも味わい経験してきた。

メディアの不誠実さは今始まったことではない。また間抜けなことを書いてるな、とあきれた視線で垂れ流される記事を流し読みしている。

4番目を用意する必要?枠を捨ててまで選手を厳選したワールド以外に補欠が用意されなかった大一番はない。本音がどこにあるのか勘繰りたくなるばかばかしさだ。だからといってくだらない勘繰りで気分を害するのも意味のないことだろう。

 

今週全日本選手権が始まる。今シーズンここまでの実績で羽生と宇野の代表は固いだろう。3枠目に入る、その意思を最も強く持った者がその地位を得ることになるだろう。それぞれが五輪という最高の舞台に立つために後悔しない演技をしてほしい。

仮に羽生が全日本を棄権することになってもそれは全て五輪で最高の演技をするためだ。視聴率とか話題性が下がるとかそういうつまらない損得でその決断を批判してはいけない。代表選考は全日本が必須ではないしその条件を得るための実績は十分この4年積み重ねてきた。他国のメディアからも金メダル候補筆頭に挙げられる素晴らしい選手がいる、そのことを誇りに感じ五輪という最高の舞台に最高の状態で送り込んで欲しいと願っている。