つれづれなるままに・・・

日々の思ったことを綴っていきます。

伝える言葉伝わる言葉

今週の火曜日頃だっただろうか。オーサーから羽生情報がもたらされたのは。
「4Lz以外のジャンプは良い状態だ」という内容だったと思う。
その情報を目にしたときにふと以前から少し気になっていた事が思い起こされた。

 

英語表現で綺麗と美しいの違いって有るのかな?、というものだ。

 

フィギュアの試合の実況と解説を聞いているとうーんと悩んみたくなったり頭をひねりたくなる言葉を聞くケースが良くある。
流石に4・5年ほど前に多かった着氷さえすれば「降りたー」とか「成功しました」と何でもかんでも言う事は少なくなったが、それでも回転不足っぽいジャンプに「上手く着氷しました」とかレベルが足りてなさそうなスピンに「ポジションの移動もスムーズでした」などといわれると視聴者が最高点もらえたのか誤解しないか心配になることはよくある。
最近ではレベル表記も出来るようになってきているので多少誤解も少なく出来る様になってきてはいるが、心証を悪くしすぎない程度にはマイナス面の指摘もした方が良いと感じるケースは数多く存在している。

 

ただそれ以上に気になるのは「同じ表現の違いすぎる状況での適用」だろう。同じ試合をずっと見ていると実況にしろ解説にしろ同じ文言を割と多用していることがわかる。見ている側とすれば前にその言葉を言った状況と今の状況は同程度と判断したいところだが実際には大きく違うケースが多分に含まれている。


要するに言葉を発している実況や解説者の中でその言葉を言う「基準がはっきり定められていない」ということだ。

 

日本の報道・放送はどうもあまり無言の時間を作ってはいけない、という姿勢らしくとりあえず何かエレメンツを実行したらその名前と一言二言いわないといけないと思っているらしい。
ただ昨今の風潮からあまりにもポエマー過ぎたり自己満足的な表現は好まれないため画一的なコメントを幾つか用意しておいて当てはまりそうなものに貼り付けている作業的な実況解説になっている。下位の選手でもできる限り褒めようと言葉を探し結局同じ言葉が全くレベルの違う状況下で発せられるという事態になってしまっている。
褒めること良いところを認めることは大切ではあるが言葉で伝える職業である以上それがどの程度の差があるかはきちんと差別化できなくてはいけない。しかし現状はそこまで語彙力が無いのと放送を言う流れの中での作業のため忘れ去られてしまうのだろう。フィギュアスケートの採点がわかりにくいと言う事はよく言われるがその大きな原因の一つが伝える側にその力が無い&そこまで伝えようという確固たる意思がないと言う点にあると言える。

途絶えることの無い演技時間中はある程度仕方ないにせよ採点中のリプレイの時にはしっかりとした技術説明はもう少しあっても良いのではと思う。ところが何故か演技に全く関係の無いコーチの反応や選手のプライべート話題、更にはナビゲーターの個人的な感想などに費やされてしまうこと多く聞きたいのはそういうことじゃないんだよ、と憤慨したくなる場面が多くなっている。

TESカウンターなど若干改善された部分もあるので次はこの辺りの向上をもう少しお願いしたい。それができないならむしろ必要以上に話さないでくれ、と願うばかりだ。


ちなみに、では有りますが私の中での言葉の基準についてすこし書いておきます。
例えばジャンプの感想などで「クリーンなジャンプ」とか「綺麗なジャンプ」と書くことが良くあります。
私の場合の「クリーンなジャンプ」というのは「マイナス要因の無いジャンプ」と認識して頂ければ良いのではと思います。飛ぶ前から空中指定そしてランディングまで減点される要因が無いジャンプ。GOEが+が付く可能性は高いですが大きくつくかどうかまでは含んでいないと言う認識です。
「綺麗なジャンプ」というのは飛形が綺麗なジャンプ、ランディングがスムーズに流れるジャンプまたはその両方に対して使っていることが多いです。ですからもしかしたらGOEでマイナスがつくこともあり得ます。例えばニューエンの様に飛ぶ前に大きくスピードを落として飛ぶ場合でもジャンプそのものが綺麗に飛んで降りたらそういう感想になるということです。この場合はもしかしたらGOEがマイナスになることもあるでしょう。勿論+になっているケースの方が多いでしょうが。
こう書くととクリーンなジャンプの方が良いジャンプという印象を持たれるかもしれませんが、「クリーン」と表記する場合は回転不足無しエッジエラー無し着氷不良でも無い一方特出してほめる要因もない割と普通のジャンプという感覚なのでむしろ高いGOE+は付かないかもしれないという側面もあります。


「美しいジャンプ」と書いてあれば明らかに「クリーン」「綺麗」より上のジャンプになります。たぶん滅多に使っていないでしょう。その一連のジャンプ動作の中で「美」という観念を抱かせる完成された技術の結晶のジャンプに対しての感想になります。

 

羽生の2015年のNHK杯FSの2つの目ジャンプに対して実況アナが思わず口にした「美しい」という言葉。ある意味では個人的な感想と受け取られかねない言葉ではあります。ただ日本人視聴者としてこの言葉を聞けばそれが際立って素晴らしいものだと理解できる言葉でもあります。

現代の日本では何でもかんでも「綺麗」と連発する事が多いです。日常会話として「美しい」というのはあまり使わない、重い言葉のようになっている印象があります。
綺麗があまりにも普段使いになってしまったためただ「綺麗」といわれてもそのレベルがどの程度なのか認識できない部分も多い。本当に日本語って難しいなと感じます。

 

今は海外メディアの記事や記者・コーチなどの関係者の談話も割と情報に上がりやすく熱心な方がすぐ翻訳して拡散してくれる場合も多いです。
今回のオーサーの羽生情報の「「いいジャンプ」ってどんなジャンプをイメージしているのかと私は思いましたし、おそらく少しでも情報の欲しい記者達は詰め寄って聞き出そうとしているでしょう。戦略的な意図もあるからあからさまにはいうことはないでしょうが・・・試合が終わってからぜひその辺りのレベルの差を聞き取って欲しいものです。

 

日本文化もかなり海外に伝わって「かわいい」とか「綺麗」なんて言葉を口にする選手もいたりします。ただその意味がどの程度理解されているのかは疑問に感じる部分ではあります。

そして逆に海外のコーチや選手の発した言葉を日本人が翻訳する際にその日本語に当てはめて本当に正しい意味で伝わるのか疑いを持ちたくなるケースもあります。「綺麗」も「美しい」も一人一人基準が違うかもしれませんがある程度その違いが日本人なら認識できる→外国人に理解できるかは微妙、という逆のケースが翻訳の際起きていないのかとても心配になのです。実際選手が口にしたのと全く逆の意図の翻訳を広めたことがありますので微妙なニュアンス程度の間違いはむしろ多いのではと思っています。

感嘆語という言葉は海外の実況など聞いているとよく耳にします。ただどれが特に良くてどういうランクがあるのかまでは理解できていません。なかなか原文を探して上手く翻訳するということもできないのでもやもやするところではあります。

ただそれでも伝えるメディアが公正に丁寧に真実を伝えようという姿勢があるならばある程度解消できる部分ではあります。しかし現状の日本メディアはありのままを伝えるではなく自分たちが作ったシナリオ通りに展開しようというご都合主義が蔓延していてかえってその本質が見えにくくなってしまっていることが多いです。

言葉は何かを伝えるためにあるツールですがその言葉の使い方ゆえにかえって伝わらない、それはただの害悪でしかないと思います。演説や答弁はともかくスポーツ観戦ぐらいは何のバイアスもかけずに放送して欲しい、判断のすべてを受け手にゆだねて欲しい、そう願うことは間違っているのだろうか?すっかりライスト観戦、地上は録画振り返りが定着してしまった1視聴者の疑問が解消されるときは来るのでしょうか?

 

そんな中平昌五輪は開幕しました。昨日は団体男子シングルとペアのSPが行われました。明日は女子とアイスダンス、明後日は団体FSですが・・・残念ながら見られません。家の都合で東京をうろうろしていると思われます。本当についてない。そんなわけでコメント等頂いてもお返事も遅くなってしまうかもしれません。申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。