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つれづれなるままに・・・

日々の思ったことを綴っていきます。

雑記

フィギュアスケート

小学生の頃、カタリナ・ヴィットの美しさに魅せられてフィギュアスケートを見始めるようになった。
テレビを見る時間を非常に限られていた家庭に育ったため、長い間フィギュアスケートにペアやアイスダンスと言ったカップル競技があったことさえ知らなかった。フィギュアスケートのテレビ放送はそんなに多くはなかったからだ。
男子シングルが存在していたことにいつ気が付いたのかは不明だが興味を持ったのはキャンデロロの存在が大きい。長野オリンピックもクーリックよりロロの方が私には印象的だった。何故かというと私は女子シングルはお姫様のような美しさが好ましかったが、男子シングルで多かった王子様的要素が非常に苦手だったのだ。衣装などによっては気持ち悪いとすら思ったこともある。一方で北米的な(ヤンキーっぽい)男らしさも嫌だった。そんなわけで男子シングルの魅力を認識できなかった私におお!と思わせてくれたのがキャンデロロだった。作られた夢の男でもなく粗暴な力強さでもない粋で魅力ある表現者、私にとってキャンデロロはそういう存在だった。


それでもフィギュアスケートという競技を見る上でウエイトはやはり女子シングルだった。何しろテレビがそう放送するのだ。同時に行われているはずなのに男子シングルの放映がない(実際には夜中などにされているため見ることが出来ない)ことなんてざらだったからだ。

 

そんな私が何故今では男子シングルをメインで見るようになったかといえば・・・・・・単純に疲れたのだ。女子シングルに・・・

私は女子シングルはヴィットの美しさから入った人間なのでそもそも日本人選手が特に好きというわけではなかった。もちろん伊藤みどりがオリンピックに出たときはメダルを取って欲しいと願ったが、当時の選手の中で一番優れていたと思っていたかどうかは別だ。そんなわけで日本人の応援はするが好きな選手は外国選手という方が多かったため、特に熱を込めて活動などしたことがない。フィギュア友達も居ない。本当に緩いファンだった。
そんな人間の耳にも目にも否応なく入ってきたのがバンクーバー少し前からわき起こった陰謀論及びそれを唱える人たちが起こした数々の騒動だ。

正確に言えば採点方法が平等かどうかは新採点以前から微妙にあった問題だ。旧採点時代はポッと出の新人はどんなに良い演技をしてもいきなり優勝などまず出来なかった。その時点においても採点が平等であったはずがないのだ。
新しい採点を設定しがらっと変えることによって有利不利の選手が出たことも理解できる。そしてそういったルール作りなどの戦略的環境作りにおいて日本や日本人が向いていなかったことも想像することは難しくない。
新採点がいきなり出来て実行されるに当たってトリノの頃は皆手探り状態だった。理解できた人と出来ていない人にまだそれ程差はなかったと思う。しかし次の4年でその差は大きく開いた。ルールを味方につけたものと本質的に理解できなかったものの差ははっきりと点差となってバンクーバーで現れた。その不利を受けた選手が日本の代表だったと言う点では不幸だったかもしれない。その憤りと日本スケ連の不甲斐なさを責めたい気持ちは理解できなくもない。
しかしそれが何故選手やそのファン同士の罵りあいにならなくてはいけないのかはわからなかった。
それでもフィギュアは好きだったので建設的な意見があるならと思って色々見たり自分なりに勉強したのだが・・・最終的に放棄した訳だ。一見正しそうな意見があっても突き詰めていくと持論の縛りを出なかったりもっと言えば陰謀論ありきから発している推察に終始している場合が多かったからだ。
自分が応援している選手がどうしたらルールを生かせるようになるのか論じた方が建設的だと思うのに、あくまでルールが選手にそぐわなければいけない論では解決しようはずがない。そんなこんなで雑音が多すぎて純粋に女子シングルが楽しめなくなってしまったわけだ。

 

男子シングルについてもバンクーバーにおいて四回転論が展開されたが、それはその後チャンが4回転を跳びトップ選手になったことである程度治まった。その後も陰謀論が展開されなかったわけではないが女子ほど数多くなくまた当時はまだそれほどヒステリックではなかったため見なければ目にしないですむ程度にいたことも大きい。
ついでにプロトコルを見て考える環境が整ったため、プロトコル的戦略が女子より幅広く展開できる男子シングルに面白さを見いだすようになっていた。
ちょうどその頃羽生結弦がTESの高さによって上位に食い込むようになったことも大きい。初GPF4位の頃からチャンや高橋という高PCS保持者に対しむき出しのTES構成で迫るという構図は非常に数字オタク心をくすぐった訳だ。
与えられたプログラムを綺麗に滑って良い点もらえたら良いと言った漠然とした期待ではなく、どういう戦略を持ってより自分を魅せられるかという方策は今までにない魅力を私にもたらせたのだろう。

そして今再びその採点法の岐路をむかえようとしている。それも私に現行の男子シングルの採点分析の面白さを教えた羽生結弦という存在の大きさによってというのが興味深い。新採点方式が確定され点数設定されたときにおそらく目安とされた限界とバランスを羽生は崩してしまった。羽生一人ならまだ良かったかもしれないが羽生以上にバランスの悪いボーヤン・ジンの登場で変更待ったなしの状態に陥ってしまっている。

しかしながら来季の改正では抜本的な改正は行えないだろう。次のオリンピックまで2シーズンしかないのだから。大幅改正してルールに選手もジャッジも対応する為には時間がなさ過ぎる。おそらくは次のオリンピックまではジャンプの基礎点を少し下げる程度の小幅の改正にとどまるだろう。

だがオリンピック後の大幅改正のための方策はこの間に検討されていくはずでそこでもきっと有利不利は生み出されることになるだろう。選手にとってどうあるべきか日本のスケ連は提示できるように準備していく必要がある。そういった先見の持ち主は居るだろうかと不安になるが再び妙な陰謀論者が暗躍しないよう意思表示できるようにして欲しいと願っている。

そしてどんなルール改正をむかえても結局選手はそれに沿って努力していくしかないことを周知に理解させて欲しい。盤外戦はファンを減らすだけでなく選手に余計な気苦労を増やすだけだと言うことを関係者は十分経験したはずだ。それを無駄にしないで欲しいと願っている。